nature’s diary

日々感じていること・ボディートーク療法・心ヨガ・身体と心の話・

伸びる〜伸びる〜。

昨日友人に教えてもらった『エアヨガ』を体験してきました。

今も心地良い筋肉痛が続いています。

 

子どもが生まれる前は、定期的にヨガなんかに通っていたのですが、暫く通うのが難しく…

でも、今年は何かやりたいな〜と思っていたところ、ちょうど友人が通っているスタジオを紹介してもらい、早速体験してきました。

エアヨガは、空中ヨガとも呼ばれていて、天井から吊るされた布状のハンモックを使用して、色々なポーズをとって、体のあちこちを伸ばすとても面白いヨガです。

 

感想は、とにかく気持ちが良かったです。

 

私は、体が固い方なので、柔軟体操をしても自分の力では限界があったのですが、宙吊りになることで重力が手伝って、自分の限界以上に伸びを感じることが出来ました。

また、逆さまになるポーズもあり、子どもの頃、鉄棒やうんていが好きで、よく逆さまになっていたのを思い出しました。

 

今年は、エアヨガを続けてみようかと思っています。

体の変化も楽しみです。

 

 

何が起こるかわからない。

 今の日本や世界で起こっていること、私自身の事も含めて、

「何が起こるかわからない」という言葉がしっくりくるなあと最近思っている。

 

「何が起こるかわからない」不確実でどう展開するのかわからない、とても不安になる言葉だけど、その反面、自由で高い望みも叶いそうな期待を持たせてくれる言葉でもある。

 

わからないことに、人は沢山の予想や対策を練ろうとする。

そうしないと不安だし、安全だと思われる答えを早く手に入れたいと思うからだ。

私もそのタイプで、以前は色々と考えて、あたふたしていた。

でも最近それが無駄のように感じ始めている。

それだけ予想を上回る出来事が沢山起こり始めているからだ。

準備や心構えはもちろん必要だと思うけど、起きた事にどんな反応を自分がするのか感じる余裕も持っていたいと思う。

そして、用意した行動や模範的な振る舞いではなく、感じたままにその出来事に対して行動する事が、人生の醍醐味なのかなと思ったりもする。

渦中にいるとそんな能天気なことを言ってはいられないけど、それでも少し離れてみると、私ってこう思うんだ、こう感じるんだ、なんて分析すると意外と面白く、直感的にこうしたいと思うことは必ず存在し、その通りにした方が良くも悪くも自分の為になるということも分かってきた。

 

「何が起こるかわからない」それを体験することが、私たちが生きている意味の一つのように思う今日この頃です。

 

楽しみたい。楽しもう。

自分の声に泣く。

 

私の声は低い。

初対面の方に、顔と声にギャップがあるとよく言われることがあります。

小学生の時は、声が高く、授業の合唱ではソプラノを担当したこともあったのに、中学生ぐらいから低くなったような記憶が何となくあります。

女だし声変わりとかではなく、うる覚えだけど自分から低い声を出していたような…

そんなことをたまに、本当にたまに思い出すことがありました。

 

だからといって、特に声にコンプレックスがあった訳ではないのですが、この度ご縁があってボイストレーニングを始めることになりました。

息子のクラスメイトのお母さんが、ボイストレーニングを教え始めたと言う話を聞き、そしてみなっち(ママさんの呼び名です)の声や声帯に関する熱い話を聞いていたら、無性に声と言うものを知りたくなってしまったのです。

そんな私のリクエストをみなっちは快く引き受けてくれ、 今日はそのボイトレの初日でした。

どんなことをするのかな〜、私の声ってどうなんだろう。

カラオケに行くこともあまりなく、最近は子供を叱る時ぐらいしか大きな声を出すことがなかったので、これだけ自分の声を意識することも久しぶりでした。

 みなっちのお家には、防音室があり、そこで電子ピアノに合わせて思いっきり声を出すことができました。

久しぶりに出す大きな声、いろいろな声を出すことへの恥ずかしさもあり、最初はとてもぎこちなかったですが、時間が経つにつれ、心の扉が開くように、解放されていく感じがしました。

そして確実に今まで使っていなかった筋肉が使われ、喉が喜んでいるようにも感じました。

 

レッスンの中で、「子どもの声が一番自由なんだよ。とっても幅広い声が出てたまに羨ましくなる。日本では日常で大きな声を出すことはあまり良くないことと捉えられるけど、子どもの声をよく聞いてみると、何にも制限されていない自由で素晴らし声だと気付かされることがある」と言っていたのがとても印象的でした。

思春期になり相手からどう思われたいか、こんな風に思われたいと周りを意識し始めることによって、声は徐々に制限されるらしい…

そんな話を聞いていたら、私が中学生の頃に声が低くなった理由が何となく分かった気がしました。

私は中学、高校の部活でテニス部の部長をしていました。責任感は多少強かったかもしれません。

色々なタイプの部員たちをまとめ、先生と部員の間の橋渡し、少しは部長として威厳もないと、私がその時選んだ声色は、低い落ち着いた声だったのかもしれません。

その後社会人になると、仕事柄人の前で話す機会は多い方でした。

そこでも、自分が弱くみられないように、一生懸命だったあの時に選んだ声も同じ低い声だったのでしょう。

知らず知らず身に付いた声は、背伸びをしていたあの頃の私の象徴なのかもしれません。

そんな思い出が蘇り、自分の声に対しての色々な思い、何か忘れていた、気付かないようにしていた感情が込み上げてきて、まさかの涙を流しました。

そんな私の声をみなっちは、今の私の低い声も好きだよと言ってくれて、また涙。

 

自分の声の音に耳を傾け、気付いた事実。

今は、自分の声が愛おしく思えます。

そんな風に思えた今回のボイトレとみなっちに感謝したいと思います。

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

親と子。

 

親子の関係は、人それぞれ。

でも、多くはこの親子関係から沢山のことを学ぶことになっているように以前から思っている。

 

先日、歌手の高橋真梨子さんのこれまでの人生を取り上げた番組を観た。

そこには、母を憎んだ49年間と書かれていた。

現在、彼女はどんどん体重が落ち、体調が良い日は年に2回ぐらいしかないそうだ。私もたまにテレビで拝見した時にとても痩せたなと思っていた。

その番組でその体調不良の原因は、「母との過去のトラウマ」と言っていた。

 

幼少時代に父親が病気で両足を切断。その後の生活費、薬代、通院費を稼ぐために母親は夜に水商売を始める。父親は自分が負担になっていることに耐えかね、別居、その後離婚。母親は、お店に来る見知らぬ男性と不倫関係になり、暴力を振るわれアザだらけになってもその関係を止めようとはしなかった。そんな状況を受け入れられず、母親を憎み始める。その後頼りにしていた父親は37歳の若さで他界し、どんどん孤立していく。

そんな中、唯一の楽しみは歌。

歌に目覚め、九州、東京と実力が世間に知れ渡り、その後数々の賞を受賞し有名になり、今も不動の歌声を伝え続けている。

しかしデビューしてからも母親との関係は仕送りだけで、ほとんど連絡を取らず、ずっと憎み続けていたという。

そして、1998年に母親の体からガンが見付かり、余命半年という連絡を急に受ける。

暫く会っていなかった母親は、ガンに冒され弱りきっていた。

その時、母親を東京に呼び一緒に暮らすことを決め、仕事以外は付きっきりで看護をします。

しかしその甲斐も虚しく、16歳で上京して以来の母親との新たな生活はたった4ヶ月で終わってしまいます。

遺品整理に母親の自宅に訪れると出演した番組を撮り溜めた膨大な量のビデオテープと雑誌のスクラップブック、一度も手が付けられていなかった仕送りの通帳がそこのありました。

 

今、彼女は母親にしてきたこと全てのことに申し訳ない、もっと二人の時間があったら体のことも気遣ってあげれていたのにと深い後悔の気持ちでいるそうです。

 

親子の関係は、とても切ないものだと思いました。

とても近くにいて、見たくない人間の本質ややってはいけないことでも親子なら許されてしまうこともある。

そして、近すぎるがゆえに、遠くに追いやってしまいたくなることもある。

でも、親の歳になってみて、親を失ってみて、その理不尽さの中に理解できてしまうものを見付けてしまう。

 

そんな、どこかぎこちなく、憎みきれないものが親子なのかなと。

 

そんなことをこの番組を観て感じました。

 

そして、壮絶な人生を公にして下さり、考えるきっかけを与えてくれた高橋真梨子さんに感謝したいなと思います。

 

 親子関係は、人それぞれ。

どんな理由であれ、そこには自分の決めた大きなテーマが隠されているのでしょう。

それがなんなのか、それは一生分からないものなのかもしれない。

ただ親をいつも頭の片隅に感じながら生きていくことが、既に壮大なテーマを全うしていると言うことなのかもしれません。