心のリハビリ。
私が仕事を辞めたのは、2年ほど前になります。
ボディートークとの出会い、子どもの出産と自然の流れといえばそうかもしれませんが、でも今考えると全てが絶妙なタイミングだったと思っています。
先月おのころ心平さんの講座を受けた時に、お隣の席だった女性の方と講座のワークや昼食をご一緒させて頂いたことがきっかけで、この度改めてお会いすることが出来ました。
おのころさんの講座では、参加料を口座に振り込んだ順に席が決まっていたそうで、私は2番目、彼女は1番目でした。
なんか凄い並びですよね….。
殆ど初対面のような状況でしたが、話は尽きずあっという間に帰りの時間となっていました。
彼女は最近お仕事を辞められたそうで、自分らしく生きることを選んだ矢先に受けた講座で、私の隣に。
私も同じようにその道を歩き始めたばかりだったので、とても状況が似ているなと思いながら話を聞いていました。
そんな話の中に「リハビリ」という言葉が何度か登場しました。
リハビリといえば身体の怪我や病気が回復してから、徐々に本来の状態に慣らしたり、鍛えたりする事ですが、私たちの場合は『心』のリハビリ。
十数年も会社員をしていた人が、ポッと自由な時間を与えられたり、これから好きに生きていいよと言われると、嬉しい反面何だか落ち着かなくなります。
こんな事しいて良いのか、何かをして忙しくしていないと、何かの役に立たなければ...。
そして、枠に囚われない自由な人を見ていると、ヒヤヒヤしたり、羨ましく思ったり…。
求められて、与えられて生きて来た自分との格闘が始まるのです。
この格闘、価値観の変化が、心のリハビリだと思っています。
私も仕事を辞めた当初は、何かに急き立てられるような感覚がありました。
速いスピードに合わせて生きてきた私は、全てに利便性、効率性を重視し、その為には沢山のものを犠牲にしてきたように思います。
そして自分の価値を人の評価や反応に頼り、委ねていました。
人は慣れると、それが当たり前になり、自分や自分の行動を客観的に見る事が出来なくなります。
今思えば、以前の私は感覚が麻痺していたのかもしれません。
2年ちょっと経った今でもまだまだ自分の心の固さを感じます。
でもその一方で、そんな自分に何か違和感を感じ始める。
この違和感がとても大切なメッセージのように思います。
そのままで良いのか?という違和感を感じるためにあえて逆の人生を歩まされているような、そんな気さえします。
私は昨年人生の折り返しをちょうど迎えたような歳になりました。
残された人生の後半は、自分で自分の人生を創造することを選んで生きていきたいなと思っています。
自分の価値を自分で感じ、伸ばすこと。
とても大変な作業にも思えますが、やはり自分が自分を信じ、好きでないといけないと思います。
そして、彼女とも人生を楽しむことを誓って別れて来ました。
次に再会するのが楽しみです。
人には、それぞれ節目、分岐点がやって来ます。
そこを自分でしっかり受け止め、見極め、選ぶ事が本来の自分に戻る近道であり、自分を信じ好きになる大切なプロセスのように感じます。
勇気を出して、新たな一歩を選んだ自分と寄り添いながら、自分の納得する人生を歩んでいきたいなと改めて思った、今回の再会でした。
スマホ。
とっても重い腰を上げて・・・。
ずっと使い慣れていたものを変えるというのは、やっぱり勢いが必要ですね。
少し心配でちょこちょこ実家に様子を見に行っていました。
画面を指で触るという行為も初めての為、色々と悪戦苦闘している様子でしたが、表情は明るい!
何か面白いオモチャを手にしたような感じと言ったらシックリくるでしょうか。
LINEで家族みんなのグループを作っただけで、今までよりもっと繋がった感覚になりました。
両親も嬉しそうです。
スマホのマナーや危険性などのニュースをよく目にする事がありますが、やはり何事も使い方、活用の仕方だなと思います。
両親がスマホに変えただけで、今よりももっと簡単に連絡が取れ、より近くに感じる事が出来る気がします。
そして両親には、会っていなかったあの人、この人に連絡をしてみようかなという気分にさせているようです。
使い慣れて、スマホの新鮮さはどこかへ行ってしまった私。
身近にスマホを初めて触れる人がいたことで、スマホの良さを再確認したような気がします。
コミュニケーションを身近にしてくれた、スマホに感謝ですね。
両親が、このスマホをどう活用して行くのか、今後を楽しみにしたいと思います。
ひらめきがいっぱい。
昨日の夜、夕食を食べていると、5歳の息子の話が止まらない・・・
ずーっと話しているので、何度が止めて食事をするように促しますが、止まらない・・・
呆れて私が「本当におしゃべりだね〜」と言うと、息子が一言。
『だって、ひらめきがいっぱいなんだもん!』
ひらめきがいっぱい
なんて素敵な言葉なんだろう。
自分の子どもながら、その返答に感動していました。
そうだ、そうだった。
私たち大人は、そのひらめきになかなか繋がることが出来ず悩んでいたり、自分の本当の気持ちが分からなくなっていたんだった!
子供の頃は、こうやってひらめきと友達で仲良しだったのに・・・。
ボディートークのセッションでも主に行っているのは、この作業だと思っています。
自分がどんな身体、自分になりたいのか、それを阻んでいるものはなんなのか。
そこを一緒に玉ねぎの皮を剥くように、一枚一枚丁寧にクライアントさんと向き合っています。
大人になると、そのひらめきの光りが私たちに届きづらくなっているのかもしれません。
そっかあ、じゃあ私もひらめきに準じて!と、以前からやりたいなと思っていた満月の夜散歩へ昨夜子供たちと出掛けました。
防寒をして、懐中電灯を持って出発!
夜に散歩なんてあまりすることもない子どもたちは、大喜び!
しかし満月の月明かりに照らされるより、懐中電灯で照らす方が楽しそうでしたが・・・
帰り道「月のパワーをいっぱい貰ったね」と息子が言っていたので良しとしましょう。
ひらめきと繋がり、それに逆らわず行動すること。
その積み重ねが、本当の自分に戻る近道だと子供たちから教えられた満月の夜でした。
皆さんは、どんな満月の夜を過ごされましたか?
『ボディートークは〇〇だ!』シリーズ⑤
私は、地球を癒していた?!
前回、素晴らしい映画を拝見し、このような感想をブログで書いていました。
映画が私に与えた衝撃が強く、溢れる思いを言葉に変換するのがとても難しい作業でした。
その後映画のお陰で意識が変わったと自覚する程、地球や周りにいる人々、動物や植物の捉え方が大きく変わり、とても愛おしく感じるこの頃です。
これも自分が作り上げた分離感を手放したのかもしれません。
映画を観て、私自身何か自分らしく地球保護が出来るだろうかと考えていました。
この映画のメッセージにあった『私達は地球の一部』がそうであるならば、自分も一緒に暮らす家族も地球の一部。
私のセッションを受けて下さるクライアントさんも地球の一部です。
であれば、家族に笑顔で優しい言葉を掛けることは、地球に優しくしているということになります。
ボディートークのセッションで、クライアントさんの体や心を癒すことも、地球を癒していることになります。
なんだ、私は地球に優しい事をしていたんだ!と新たな発見がありました。
そして、私の行動が家族やクライアントさんの体と心を整えられ精神的に満たされれば、今度はみんなが自分たちの家族や仲間を癒したり元気付けたり出来ます。
こうして労わりの和が広がることで、分離された関係が修復され、最終的には地球保護に繋がっていくんだなと思っています。
自分のセッションの向き合い方も変わりました。
地球を癒し、満たしているという自覚を持って、仕事を全うしたいなと思っています。
今年は始まったばかりですが、早々に大きなブレイクスルーが起こりました。
とてもエネルギッシュな一年になりそうで、楽しみです。