体は凄い。
先日、NHKスペシャル「人体」が、最終回を迎えました。
遅ればせながら、私も見終えたところです。
全てのシリーズに共通していたことそれは、体は部分部分、臓器などが個々で働いているのではなく、体全体が密にコミュニケーションを取り、機能が、健康が保たれているということでした。
なので、どこかが痛い、症状や病気になったとしても、体全体を診ないと原因は分からないと言うことです。
西洋医学が大きく変わり始めていることに、とても大きな可能性を感じました。
そして、東洋医学、代替医療がしてきた事、視点が、その可能性をもっと伸ばしてくれるようにも思っています。
真っ新な状態で生まれてきた私たちが、病気になる。
それは、遺伝子、細胞レベルで何かの異常が起きているわけですが、その異常が起きる過程には、個々人それぞれの思考や感情が大きく関わっていると思っています。
体のメッセージも勿論ですが、精神、感情のメッセージも同時に診ていく必要があると思いますし、体の機能と精神は切っても切り離すことのできないものだと思います。
日本の死亡原因1位のガン。
ガンは、私たちの正常な細胞が何らかの異常を起こし、ガン細胞となり、ただ目的もなく増殖する細胞へと変化してしまったものです。
ゲストの樹木希林さんが「まるで今の地球上に住む私たち人間のよう。何がしたいかも分からず、ただ欲しい欲しいと言っている」と仰っているのがとても印象的でした。
元々正常だった細胞が、なぜ増えるだけの目的もない細胞へと変わってしまったのか。
そこに、日本人の私たちが抱える意識が大きく関わっているような気がします。
病気は、一見私たちを支配し、苦しめ、辛い境地に追い詰める悪者のように見てしまいますが、ガンのように元を正せば、自分の正常な細胞です。
勿論、病を治すことが大切で、優先されるべき事ですが、そもそも何が体をそう変化させたのか、何を訴えたくてそう変化したのか、そこをじっくり見つめることも同時に必要な気がしています。
シリーズ最後にタモリさんは、「人間、産まれて生きているだけで、もの凄いことをすでに成し遂げている。そう思えば、全てにゆとりと感謝が生まれる」と仰っていました。
このシリーズで、体の中で起こっている事がどれだけ奇跡的で、巧妙で、人間の脳でも再現でいない程の神秘的なものなのかを再認識させて頂きました。
私たちは、体をコントロールしていると言うおごりを捨て、私たちに合わせて計り知れない働きをしている体に感謝しなければならないと思います。
体と心の声に耳を傾け歩む事が出来たら、結果自分の幸福へと繋がるように感じています。
私たちは、計り知れない大きな力に生かされている。
全てに良し悪しはなく、全て自分で選んでいる。
そのことを体が表現し私たちに見せてくれているように感じた時間でした。
素晴らし番組をありがとう。
信じてみる。
我が家の長男長女が、今週入学、入園を迎えました。
二度式に臨んだので、少々気疲れをしました・・・(^_^;)
それは、新しい場所へ子どもたちを送り出す不安や心配。
先生や保護者の方々、新しいお友達など、初対面の方に沢山お会いする事で生まれる、不安や心配。
学校や園とどう付き合っていくかの不安や心配。
当たり前ですが、色々な種類の不安と心配が心の中に生まれ、感情と思考が忙しくなります。
こういう時は、まず目を閉じて深呼吸。
その不安と心配をじっくり味わう。
そういう自分を受け入れる。
皆んなが仲間で、味方だと、自分から広がる輪を大きくするイメージをしてみる。
そして、自分のペースで無理せず(ココ大事!)、その不安や心配を良いものに変えて行けるように、子どもたち、学校や園、先生、保護者の方に関わってみる。
結局、みんな同じ気持ちなのだから、相手を周りを信じてみる方が、自分にとっても良い流れになるように思います。
同じ仲間。
心の何処かに「仲間」意識があれば、その波動は相手にも届き、スムーズにことが運ぶ気がします。
と言っている私も、日々これを意識しながら、子どもたちを送り出している最中ですが...。
せっかくだから、親の私も子どもたちと楽しみたいと思います!
お風呂の時間。
夫に子どもたちをお風呂に入れて貰いたいところですが、帰りが遅いため毎日のお風呂は私の役割になっています。
3歳の娘、6歳の息子の体は、まだホクロもないような真っさらな綺麗な体。
たまに羨ましく思う40のおばさんな私です...。
外で遊ぶことが好きだった幼少期、中高とテニスの練習に明け暮れたお陰で出来た、沢山のシミとそばかす。
小学四年生の夏休み、妹とふざけていて、窓ガラスを蹴った拍子に切った足の傷跡。
子供の頃、視力回復センターへ通ったのに、また悪くなってしまった視力。
二人の子供を出産し、柔らかく弛んだお腹、などなど。
きっと私も真っさらな体で生まれたであろうに、色々な経験や体験によって出来た体の変化を挙げればキリがありません。
そんな風に、自分の体の変化を過去の体験に擦り合わせて見て行ったら、「あっ、本当に体は私の為に頑張って来てくれたんだな」と老いを悲しむどころか、感謝の気持ちが溢れて来ました。
今までの40年間の体験を、経験をこの体がやって来てくれたんだ。
自分の感情や思考をこの体が受け止め、今まで表現してくれたんだ。
ずっと私に付き合って来てくれたんだな....。
これからもっと体は老い、出来ないことも増えるでしょう。
でもその反面、私は自分の精神が出来ること、体験して得た知恵が増えていると思っています。
この体から離れるその日まで、目一杯沢山のことを感じ体験し尽くしたいなと思います。
そんな思いを馳せるきっかけを子どもたちのお風呂の時間から頂きました。
自分の好きなことだけやる。
最近、周りの友人たちが、大きな決断をし始めた。
その決断に共通していることは『自分の好きなことだけやる』。
今まで、ずっと続けてきた仕事を見直し、今の自分に本当に合っているのか、本当に楽しく充実しているのか、本当に好きでやっているのかを自分たちに問い直したわけです。
ある方には、相談を受けたこともありましたが、でも結果話し始めると気持ちは決まっていて、後押しして欲しかったんだなと。
この『自分の好きなことだけやる』はとっても呑気で、自分勝手なように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はとっても大きな勇気と決断力、自己責任を意識しないと出来ないことだと思っています。
人は大抵妥協して生きているし、人の言葉に振り回されている。
自身はとっても辛いけど、でも人のせいにも出来たり、人に頼り切ることも出来る。
好きなことだけやるとは、時には相手の依頼や行為を断ったり、意見を戦わせなければならない場面も必然的に出てきますし、何かが起これば自分に全ての責任が掛かります。
その時に、しっかりと相手に自分の気持ちを伝えられる人、事の収束を自分で出来る人は、そう多くはないように思います。
なので、自分の好きなことだけやるは、とっても大きな決断と意思が必要なのです。
こんな偉そうに言っている私も、勿論まだまだ軌道修正中。
とっても小さな勇気を振り絞って、少しづつ自分の好きを追求している最中です。
なので、こうした友人たちの決断を、勇気を本当に素晴らしいと思うし、嬉しく誇らしくも思います。
何か気持ちが乗らない、楽しめない、違和感を感じる。
これは、とっても大きなヒントだと思っています。
大抵は相手もいることなので、なかなか自分の判断がしにくく、決断を鈍らせることもあります。
なので、「自分に問うこと」はとっても大切な作業です。
直ぐに行動に移せなくても、ハッキリと自分が違和感を感じていることを自分が理解しているだけでも楽になれますし、その問いを繰り返していると、必然的に自分が行動したくなる、または行動するタイミングがやって来ます。
そして行動する時に、しっかりと相手に理由を伝えることも、一つの大切な流れであって、欠かせないもの。
相手に伝えることで、自分の現状を直視し、大切にしたいこと確認し、自分の意思表明をすることが出来ます。
これが、今後の展開に大きな追い風となって勢いを付けてくれるのです。
違和感を自覚する。
そして、行動する。
人生には大なり小なりこうしたターニングポイントがあります。
人生の軌道修正にはとても必要なことです。
そして、取捨選択して残っていった、『本当に好きなもの』はどんどん輝きを増し、それを届けるための熱意は溢れ、それを受け取った相手も幸せになれる、とっても素敵な循環が生まれて行きます。
これは究極のエネルギーの流れです。
「好きなことだけやる」は『本当に好きなことに全エネルギーを注ぐこと』
それは、自分だけでなく周りの方々にも還っていくもの。
みんながその循環を作っていったら、とっても素晴らしい世の中になるように思います。
悲しい勘違い。
新年度も始まり、ワクワクドキドキムードのこの時期。
我が家も長男長女が入学、入園を間も無く迎える為、ソワソワしています。
さて先月、潜在意識って凄いなーと改めて思った講座に参加して来ました。
皆さんは、「お金」に対してどんなイメージがありますか?
・お金があるとなんでも出来る!
・お金があると自由になれる!
・人を救える などなど・・・
良いイメージもあれば。
・騙し、騙される
・ずっと働かないと貰えない
・格差がある などなど・・・
ネガティブなイメージもあります。
講座でも、お金に対するネガディブなイメージを参加者の皆さんで挙げていったら、出るは出るは!
やはり、何かしら私たちはお金に縛られて生きている。
なんとも辛い現実です。
そして、このネガティブイメージに共通しているのは『不足感』です。
不足感はおそらく、ほとんどの方が持っている感覚だと思います。
では、このお金に対する『不足感』が、幼少期の親子関係の影響を受けていると聞いたら、皆さん驚くのではないでしょうか。
母親から産み落とされた時、私たちは食事、排泄、歩くことなど、全く自分では出来ない状態で生まれてきます。
なので、親からの100%の助けと愛情の元育てられます。
私たちはこの時、これが親から自分に向けられた100%の愛情だと認識するそうです。
しかし成長するにつれて、私たちも自分で出来ることが増えていき、それに合わせて親も100%のお手伝いから少しずつ手を引いていきます。
これは、子どもの成長、自立の為に必要なことであって、決して子どもへの愛情が無くなった訳ではありません。
ですが!0歳から6歳のこどもたちの脳は未発達で、親の助けが減ること=自分たちへの愛情が減ったと思うそうです。
そして、この記憶、感情が潜在意識に蓄積され、お金や物質への不足感として感じるというのです!
今まではやってくれていたのに、突然「自分でやりなさい」と言われたり、やりたいと思っていたことを突然「危ない」の一言で取り上げられたり・・・
子どもたちの頭の中は、パニック状態。
何故親が自分のして欲しい事をしてくれなくなって、やりたい事をやらせてくれないのかが、分からないのです。
子どもたちのそうした勘違いが、愛情不足、自己肯定感の低さに繋がってしまうなんて、親は子どもの為を思ってやっていることなのに、本当に悲しい勘違いです。
私も子どもの頃に感じた親に対する不満、理不尽さはあります。
でも今、自分が親になり子育てをしていると、自分の親に対する感情も変化しているのを感じます。
親だって未熟だし、イライラすることもある、不器用なところもあるし、子どもの成長の為と心を鬼にすることもある。
日々子育てを試行錯誤し、不安や心配の気持ちを持ちながら子どもと向き合っている。
親も頑張っている。
けれど、それが子どもたちに上手く伝わっていないとしたら、とても悲しく寂しいなと思いました。
今子どもに出来ること、それは親、大人の私たちが、子どもを子ども扱いせず、きちんと立ち止まって説明すること。
何故これをしたらいけないのか、何故お母さんは手伝わなくなったのか、今怒ったのはこう言う理由があったから。
今よりちょっとだけでも意識し伝えるだけでも、きっと親の愛情を感じ、親子の関係は良くなって行くように思います。
それは、タイムリーに出来なくてもいい、落ち着いた時でも、少し時間が経ってからでも良いと思います。
そして、大人になってしまった私たちは、当時の親の未熟さ、不器用さ、一所懸命さを今の自分に重ねたり、親の置かれた状況を想像することで、許せたり、誤解を解くことも出来るような気がしています。
とは言え親子とは、とても複雑で、色んなことが絡み合っている。
単純ではないこの関係を全て理解することはできないのかもしれません。
ただ親子という強い関係を選んできたのであれば、自分なりの解釈を探して行きたいと思います。
皆さんは、どんなお金のイメージを持っていますか?