nature’s diary

日々感じていること・ボディートーク療法・心ヨガ・身体と心の話・

対等。

私は、ボディートークという、意識に基づくエネルギー療法をやっています。

まだまだ駆け出しではありますが、私の施術によって体調が改善されたり、生活の意識が変わったとおっしゃってくれることもあり、それはとても嬉しく、ありがたいことなだなぁと思います。

(ボディートークは、体の持っている自然治癒力を元の力に戻し、不調を見付け治す為の環境作りをしているだけなので、本当は私の施術ではなくご自身の力で改善されています)

 

ただ私はクライアントさんに同じぐらい感謝をしています。

いいえ、感謝をしなければならないと思っています。

20代の頃から生涯現役で働きたい!私が好きで楽しんで出来ることをやっていきたい!と思い始め、それから紆余曲折がありながら、30代半ばにしてやっとそう思えるものに出会えました。

なので、私にとって今ボディートークが出来ることは、大げさにいえば魂が喜ぶ最高に嬉しいことなのです。

しかし、ボディートークは私一人では成立しません。

ボディートークに興味を持って頂いたクライアントさんがいなくては、魂の表現が出来ないのです。

そう考えると、いくら私の施術によって体調が改善したとしても、それは決して私が凄いとか偉いとかではなく、お越し頂いたクライアントさんと私の立場は対等なのだと思います。

 

人の身体に携わる者として、沢山の方に健康に、また自分の可能性を広げて人生を楽しんで頂きたいと勿論思っていますが、私の場合、自分の好きなことがたまたま身体を健康にすることに関わることであったと言うこともあり、表現が難しいのですが、使命感や責任感と言うものよりも、自分の好きなことを探求したいと言う、とてもシンプルな感情で動いているように思います。

そう言うと冷たく感じる方もいらっしゃるかもしれません。

でも、それが正直なところでもあります。

 

先日、友人と「身体を治す人と治してもらう人の立場や関係」についてこんなことを話していました。

何かを表現する時は、必ずそこに相手がいます。

相手がいるからこそ、そこに進化があり、遣り甲斐を感じる。

では、身体を治す人と治して貰う人はどんな関係なのだろう。

発想をガラリと変えてみると、そこには対等な立場も存在するのではと。

 まぁ、色々な考え方、ご意見はあるかとは思います。

 

ただ私の場合、クライアントさんと対等と言う立場がしっくりくるな〜と最近気付き、そう考えた方が肩の力が抜ける気がしました。

ボディートークに、クライアントさんに、これからもより一層真摯に向き合いながら、表現できることに感謝しながら、ただただ好きなことをやり続けたい。

それが私にとって、喜びのベースとなっているように思います。