nature’s diary

日々感じていること・ボディートーク療法・心ヨガ・身体と心の話・

2019.4.9. 息子の迷子と私の心。

私もとうとうここまできたか⁉︎
感情や気持ちをどう扱うかに、とてもとても興味があって、色々やってますが…、こんな時にも⁉︎と思うことがありまして。
 
息子と娘を連れて大きな公園へ行った時のこと。
 
入園料を払って中に入ると、園内は花見で訪れた家族でごった返していた。
数時間公園での遊びを堪能し、帰ろうと歩き出した時、息子と娘が一斉に違う方向へと走り出した。
私は、小さい娘の方に目を配っていたら、息子を見失ってしまった。
 
暫くその場で待ち、その後息子の行きそうな遊具を行ったり来たり、しかし待てど暮らせど息子は帰って来なかった。
30分位探しても見つからず、迷子の放送も特に流れてこない…。
見つからないので事務所の方に、迷子の放送をして貰ったが一向に届け出はなかった。
 
もう少し探してみよう。
 
色んな気持ちが渦巻く中で、ふとこういう時の自分の気持ちは、どう変化するのか観察してみたくなった。
こういう機会は中々ないと不謹慎だが、自分の中を見たくなったのだ…。
この状態でのこれには、私もなかなかきてるなぁとさすがに思いました…(^_^;)
 
私の頭の中は、こんな感じだった。
 
もしかして誘拐されたのでは?
園内のどこかにハマって身動きが取れないのでは?
 
私の妄想は止まらない。
 
もしかしたら、あの後ろ姿が最後に見た息子の姿になってしまうのか…。
もし息子が死んでしまったら、私は自分をずっと責め続け、家族にも恨まれるのだろうか…。
大切な人を失って1時間程の時間が経ち始めると、思考は究極の恐怖心と共に、最悪の事態を想像し続ける。
 
そんな思考が頭の中をぐるぐるするものの、もう一人の自分が。
そういう気持ちになるんだ。
そうこと思うんだね。
そんなことが起こると思っているんだね。
と実況中継をしていく。
こんな風に一つ一つ頭に浮かぶことを認め続けていくと、意外にもこれが私を冷静にさせてくれた。
 
冷静になり始めると不思議と頭が冴えてくる。
 
何となく駐車場にいるような気がしてきた。
半信半疑で向かってみると、そこに心細い表情を浮かべた息子が、車の後ろから現れた。
 
息子は、私が帰ろうと言った言葉を聞いていて、はぐれた後、駐車場にいるであろうと考え、私たちを見つけに離れた駐車場へと一目散に一人向かっていたという。
駐車場までは結構な距離がある。
 
私を見るや否や安堵で息子は半泣きに。
私は、1時間近く一人でよく頑張ったねと話して抱きしめた。
 
大切なものを失うかもしれないと思うと、人はとてつもない恐怖に駆られ、有らぬことをどんどん想像し混乱する。
そして、その想像は止まらない。
 
こんな状況でも、いやこんな状況だからこそ、一旦客観的になって、自分の中を見てみることで冷静になり、僅かな可能性を信じてみようと思うことが出来るのかもしれないと思った出来事だった。
 
いやー、でも必死に探したので、足は痛いし、喉はカラカラ。
出来ればもう体験はしたくないです(T-T)