思い出せない記憶。
思い出せない記憶がある。
とても大きな衝撃やショックを受けるような出来事があったり、自分を表現出来なかったり、表現を許されなかった環境により、五感を塞ぎ、心を閉ざして過ごしてきた日々の記憶は、思いだせなくなることが多い。
それだけその時を、その感情を感じたくなかったのだろう。
感じてしまったら自分が壊れてしまうかもしれないという恐さもあるかもしれない。
私の所にいらっしゃる方にも、小学生6年間の記憶がないとか、中学生までの記憶がないとか、子どもの頃の記憶がないと話す方は多い。
現に私も小学校3年生までの記憶はほとんどない。
私の場合は、自分自身を生きていなかった時の記憶はほとんどないのだ。
思い出したいけど、思い出すことの出来ない記憶。
そこに何があったのか…。
もどかしく感じることもある。
でも、私はこう考えるようにしている。
分からないは、反対に分かりたい、知りたいの願望を芽生えさせてくれる。
そして、それを知る道のりは、まるで心を閉ざしてきた時間を取り戻すかのような体験から得られていく。
僅かに残る感覚的な記憶を頼りに、その時とは違う環境や自分を選択しようとするからだ。
これこそが、答えなのだと思う。
今自由に選択出来る嬉しさが、今自由に表現できる喜びが、今自分のことが好きだと思える幸せが、消えた記憶の中では出来なかったのだろう。
だから、思い出すことを悔やむことはないし、思い出せないことに嘆くこともない。
また、思い出そうとしなくてもいい。
ただ今の自分が幸せで、楽しく過ごしているならば、きっと思い出せない記憶の中にいる自分は、微笑んでいるにがいない。
『そう、それがしたかったの!』と。