志し。
「志しを高く持とう!」学生の時からよく耳にしていた言葉。
志しを高く持つ、素晴らしい事だとは思っていたが、でもどこか崇高で能力の高い人の為の言葉であって、自分には関係のない事のように思っていた。
そんな中、まさしくこういう人を志しの高い人と言うのだろうと思わせる人を観た。
自分の権力を振りかざすでもなく、私利私欲の為に動いているのでもない、只々みんなの為に動いた結果であることが言葉の端々に感じ取れた。
そして自分が動き、活動することで、その先で何が変わり、何に役立ち、何を助けられるのか...その具体的なビジョンを約10年もの間持ち続けたと言う事実に、私はとても心を動かされた。
志しは、誰でも持つ事は出来る。規模や影響力の大きさは問題ではない。
どれだけその夢を切望しているのかと言う事の表現だ。
でも、それは決して自分の為に働くものではないことも同時に強く感じた。
自分以外のものの為だからこそ、自ずと志しは高く設定され、活動していく中で自分の想像以上の力やサプライズをもたらしてくれるのだと思う。
そして「何の為にどうしたいのか」がしっかり確立していないと、志しなんてものは直ぐに折れてしまい、自分の傷を舐めるだけに留まってしまう。
どれだけの思いを傾け、その思いを貫き、現実に向かっていけるのか、それは手元を見ているだけではダメで、先の先、広い次元を見据えて考えなければならないことなのだと思う。
私は、ボディートークで何が出来るのか。
志しを見直す必要があるように、その方を観て思った。