nature’s diary

日々感じていること・ボディートーク療法・心ヨガ・身体と心の話・

複雑で曖昧なもの。

人には、割り切れないものがある。

白とも黒とも言えない。

言葉では言い表せない、もどかしいものが。

 


それは、目には見えないし、言葉には出来ないけれど、そこに確かな真実があるような気もする。

それぞれが信じたい真実。

そして、それはその人だけの領域。

 


人はそれを持っていいし、誰もそれを脅かすことは出来ないと思う。

 


何とも言えない複雑で曖昧なもの。

人は、それを嫌がるけれど、本当はとても必要な部分だと思う。

もしかしたら世の中には、そういうことの方が多いのかもしれない。

 


物差しで測ることの出来ないものを感じる。

そういうことも、大切だと思っています。

人と関わり合いながら。

前の職場を離れてから、割と物事を一人でやることが多く、問題は一人で解決することが多かった私。

 


もともと一人の時間がないとダメなたちで、大人数の集まりに行くのも苦手な方でもあります。

なので、一人でいることの方が気楽だと感じることは、今もあります。

 


それはそれで、いいと思うのですが、最近になって、私に違う学びが始まったなぁと感じています。

 


それは、人と関わって、人と一緒に行動する。

これが、今の私に起こっています。

 


いつもなら、ぱっぱっと決断して行動出来ることも、様子を見ながら、人に意見を求めて進めなくてはならない。

最初は、そのスピードや理解を得られないことに、戸惑ったり、苛立ったり、迷ったりしていました。

 


そして、突然自分のことを理解してくれるだろうかと不安になったり、自分はここで何が出来るだろうかと立ち位置を何度も確認したりと、同時に怖さも出てきました。

 


でも、そんな過程を踏んで気付いたことがあります。

 


それらの感情や気持ちを相手と共有すること。

ただそれだけで良かったのだと。

 


今私の近くにいて、私と関わって下さる方は、きっと深いところで意味があり、出会っていると思っています。

それをご縁というのかもしれません。

 


何かあった時、その方々ときちんと話すと、本当は同じ方向を向いていて、アプローチが異なっていただけだったと気付きます。

 


それを理解すると、お互いに信頼と安心が生まれます。

 


私は今まで自分自身とやってきた対話を人とすることを今学んでいる。

そこに、私の知らなかった世界があるなぁと思っています。

 


人と接しながら、自分の本質を知っていく旅。

これからもゆっくり楽しみたいなぁと思います。

味方にする。

人からどう思われるだろうか。

この思考は、この先も私の中から消えることはないだろう。

 


人を羨む気持ち。

この思考も、この先も付き合わなければならない感情だと思っている。

 


最近、私はこう考えるようにしている。

 


人からどう思われるかの思考は、何か新しいことを自分から表現しようとしている証だと。

 


人を羨ましく思う時は、その人にあるものが、自分の中にもあり、自分からそれが表現されることを待っていると。

 


反応するということは、そこに自分にとって大切なヒントが隠されている。

 


ネガティヴと思われる感情を自分の味方にて、大切にしたいと思う。

とてもとても難しいことだけれど、そんな生き方をしたいと思う。

闇が明けるように。

人は、何かを恐れると、自分をコントロール出来なくなる。

恐れを避けようと、感じない様にと、怖がって、ムキになって、何だか分からないものに、力を使って、自分が無くなり疲弊する。

 


まだ何も起こっていないのに、

なぜそんなに、怖がっているのか…

なぜそんなに、頑張っているのか…。

なぜそんなに、自分を守ろうとしているのか…。 .

恐れの行動は、とても無自覚で、止まらない。

 


でも、身体は感じている。

身体が、重く、固く、縮こまっていく。

苦しくなったら、辛くなったら、ちょっと立ち止まる。

自分の行動をゆっくり観てみる。

肩の力を抜いて、深呼吸。

 


すると、分かってくる。

どんなことを怖がって、どんなチグハグなことをしているのかを。

 


そうすると、行動が止まる。

何も頑張らなくてもいい、何もしなくてもいいんだと客観的になれる。

本当の自分の心地よさを思い出す。

本当の自分を取り戻す。

 


違和感を感じたら、立ち止まる。

自分と繋がり直す。

すると闇が明けるように、安心感が生まれ気持ちも軽くなっていく。

音。

先日、『音』の話を聞いてきました。

 


音は、物理的な見方をすると、空気を震わす振動です。

本当は、音というものが存在するのではなく、空気を震わす振動が鼓膜に伝わり、私たちは音というものを感じ取っています。

 


それぞれの振動数は異なり、それを音の違いとして聞くことが出来るので、メロディーが生まれます。

 


そして、音の振動数が増えると、色彩として、そして、もっと振動数が増えると物質として私たちは、認識している。

私たち人間も振動しいて、この世界に存在するものは、全て振動しているから存在出来ているということになります。

 


そう、言い方を変えれば、私たちも『音』の一つなのです。

 


私たちも、振動数が異なり、それが個性となっています。

 


私たちが、自分の振動数で、振動し続けているのであれば、それは空気を震わせ何かを周りに伝えている。

音としては聞こえなくても、きっと音以上の影響を周りに放っているのだと思います。

 


自分からどんな音が奏でられているのか?

 


それを確かめるには、きっと、自分が自分のことを好きかどうか、心地よく居られているかどうかで、分かるような気がしています。

 


そして、そんな人たちが集まった時、きっとオーケストラ以上のハーモニーが生まれると思います。

 


自分から好きな音が出ていたらいいなぁ。

そして、人との出会いで、素敵なハーモニーが生まれたらいいなぁ。

 


そんなことを思いました。