自分、再スタート。
人の人生には、どうしても頭では理解出来ない、何で、どうしてこんな事が起こったのと思わされるような、ゴールのない苦しみを体験する事がある。
それは負の感情と言われる、悲しみ、後悔、憎しみ、自己否定などの味わいたくもない感情を引き起こし、その感情に囚われ苦しみ、自分の人格や人生を歪ませてしまうこともある。
そして、そこで起こる最大の、究極の問題は、「自分のことを100%自分自身が信じて、愛せてあげられない」という悲しい現実を生んでしまう事だ。
私も随分前に大きな重りを持たされた。
それはずっと私の中にあり、古傷が痛むようにずっと私にまとわり付いていた。
逃れられない記憶。
色々な経験や勉強をしていくと、自分に起こることは自分が選んでいるだとか、自分に必要なことしか起こらないとか、人生の学びだとか言われる。
それらの教えを頭では理解出来ていたが、本当のところ腑に落ちていなかった。
私はずっとこの重りに託された意味が全く理解出来ずにいた。
そして、自分のことも心底好きにはなれていなかったし、受け入れられていなかったように思う。
しかし、先日その答えが、その重りの解釈が大きく変わる時が私にやって来たのだ。
私にとって記憶に残る日となった。
それは、私の好きなボディートークによって引き出され、向き合った結果起こった事だった。
私たちは、何故生まれてくるのか。
それは、魂レベルで考えると、色々な体験がしたいから。
そこには、善も悪もなく、正しいも間違っているもない。
どんな事でも体験したい、その意思のみだけが存在する。
だから、どんなに辛く悲しい事や怒りや憎しみが込み上げるような出来事だったとしても、魂からみれば「その経験を肉体で心で、感情で体験したかった」ただシンプルにそれだけなのだ。
でも、そんな事を直ぐに受け入れらる訳もなく、皆苦しみ続ける。
ただ唯一の救いは、その経験がもたらす苦しみや悩みから這い上がろうとする過程で、自分を助けてくれる人たちや同じように頑張っている仲間との出会い、本当に自分が進むべき道を追求し得られた知恵や経験、そこから生まれる新しい喜びや幸せがある事だ。
そこもセットで、そこも含めて、あの重りなのだと理解出来た時、やっとあの体験があったからと言えるのかもしれない。
だとするならば、私はよくこの重りを自分に課し、人生の半分を生きて来たなと。
その覚悟を、自分の選んだ人生を「自分は今まで良くやった!」と褒めてあげたいと思った。
そして、苦しみの先にあったのは「愛」であり、今そこに気付けた事の嬉しさに涙が溢れてくる。
この苦しい重りがあってこその今回の気付き。
それは、私の苦い体験をとても意味あるものに変えてくれた。
人生に起こったことへの解釈は、変える事ができる!
本当に身をもってそれを体験できた事がとても嬉しく、幸せだと思う。
私がこれから出来ることは、自分に大きな変化をもたらしてくれたボディートークという療法に真摯に向き合い、クライアントさんの重りを意味あるものに変化させるお手伝いをすることだと思っている。
捉え方、解釈に変化が起こることで、人生の色は変わる。
皆様にも、是非それを体験して欲しいと切に願っています。